スクリーンショット 2015-01-10 15.10.59あなたは、どう生きますか。どう生きていますか。どこかの駅から街を見渡せばあなたの目に入る光景だけでも凄くたくさんの人間によって私達の街が出来ている事がわかります。普段は少しも気にかけませんが、サラリーマンや子供達はひいては押し寄せる波の様に街から家へ、家から街へそれぞれが思い思いに動いています。

あなたは自分の事を凄くちっぽけに思えて、本当に居ても居なくても変わらない世界を思い浮かべてしまうでしょう。「ものの見方」というものについて、考えると.世の中の一つ一つ、一人一人が集まってこの世の中を作ってるのだし、またみんなが世の中の波に動かされて生きているんだね。

そうなると、あなたは自分の意思で生きているし、また世の中の一部として生きている事になる。だけれども、人間と言う物は自分を中心として物を見たり考えたりする。それも、とても頑固で根深く。しかし、自分の世界中心の子供が、色々な関係を考えられるような大人になるように。世界の中心にあなたが座り込んでいるんじゃなくて、常に揺れ動く世界の中にあなたが立っている事を認識しなくてはいけません。そうでないと、自分勝手な妄想におちいって、ものの真相がわからなくなって、自分に都合の良い事だけを見てゆこうとするからです。

あなたがいつか感じた、世の中に対する自分に感じたちっぽけだという思いは、その実感をもって初めて先ほどの考え方を持つ事が出来る。だから、あなたのその虚無感はまったくもって無駄ではない。

世の中の事をまじめに考える事は、あなたにとって必要な事です。そうはいっても「世の中はこんなものだ。その中に人間が生きていると言う事はこういう意味がある」なんて一口にあなたに説明する事は誰にだって出来ないはずだ。仮に、説明が出来ると言う人が現れたとしても、その人の教えを聞いて「なるほど」なんて理解できる物ではないじゃないか。勉強や言葉は教える事が出来ても、この広い世界の中で、一人一人が思い思いに自分の一生をしょって生きていると言う事に、どれだけの意味や値打ちがあるのかは誰にも教える事は出来ない。あなたが成長して自分で考え、自分で見つけてゆかなければならない。最近は、インターネットで少し調べると色々な事が情報として載っているし、調べて知る事は容易になっている。ところが、冷たい水の味はどんな物か?と言う事になるとあなた自身が水を飲んだ事が無ければわからないだろう。生まれつき目の見えない人に、色の説明をしようとしてもなんとも出来ない。体験を伴って初めてわかると言う事が、人生にはたくさんある。

もちろん昔から、世の中や人間の生き方について、偉い哲学者や、お坊さん、文学者、思想家などが、智恵を注ぎ込んで書物に残している。それを読んで立派な人々の思想を学ぶ事も非常に大切な事です。だけれども、やっぱり最後にはあなたがどう思うか?という事が鍵なのです。あなたが心から動かされた思いを深く考える事が肝心なのです。

もし、正直で、勤勉で、克己心があり、義務には忠実で、公徳は重んじ、人に親切で、倹節は守るし・・・という人が居たら確かに申し分の無い人でしょう。だけれども、あなたに考えて欲しいのは、その先の問題です。世間や学校で立派とされた通りに行動し教えられた通りに生きてゆこうとするならば、–「良いか、それじゃああなたはいつまでたっても一人前の人間になれないんだ」。肝心な事は、世間の目よりも何よりもあなた自身が心底から、人の立派さがどこにあるのかを知り、そうなりたいという気持ちを起こす事だ。そうでないと、あなたはただ親や周りからの偏見で「立派そうに見える人」になるばかりだろう。世間には、そういう振る舞いをしている人がたくさんある。

あなたは、自分の心から感じた事や、しみじみと心を動かされた事をくれぐれも大切にしないと行けない。

※この手紙は、「君たちはどう生きるか(著者:吉野源三郎)」をもとに書かれています。青春から大人まで、人間とは何か?私達はどう考えて生きてゆくのか?を描いています。

著者がコペル君の精神的成長に託して語り伝えようとしたものは何か。それは、人生いかに生くべきかと問うとき、常にその問いが社会科学的認識とは何かという問題と切り離すことなく問われねばならぬ、というメッセージであった。著者の没後追悼の意をこめて書かれた「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」(丸山真男)を付載。