子供を見ていると、

①成長することって、なんだろう?②大人になることって、本当はどんなことだろうか?と思うことが良くあります。それからよくよく考えて見ると、①成長ってきっと出来なかったことができるようになる事だと思うようになりました。それから、②大人になるってことは、きっと能動的&主体的な選択肢が増えてゆくことだと考えるようになりました。 でも、僕を含めて目の前の人たちを見ていると、青春のある時点を超えて、大きくなればなるほど子供の時にできていた事が出来なくなってゆくような気がしています。多くのことに胸をときめかせたり、夢中になったりと。

アインシュタインが言いました

Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen. 

「常識とは、18才までに得た偏見のコレクションである」

ひょっとしたら、私達は、成長というものと鈍感というものが非常に曖昧になっているのかもしれませんね。サラリーマンが会社から言われている「TOEICの点数を上げることや、平社員が主任、係長、課長になること」が成長なのかは考える人それぞれでしょうが。 そして、成長して普通の大人になるとこれもまた、不思議なことに周りの大人の選択肢が減ってゆくのです。

行けば行くほど、手札がドンドンなくなる大人たち

 住宅ローンに縛られて、会社の都合に右往左往して、満員電車でギュウギュウですね。家族のため、子供のため、社会のため、自分を犠牲にして務めるのです。仕方のないことだと。

でも、そんな中、僕がある日思ったのは「大人になったら、選択肢が減ってゆくのはおかしい!」ということでした。だって、無限に近い選択肢がある道を選んで生きてきたら、だいたいの大人がみんな似たような目的地に行き着くのって変じゃないですか?

10年、20年、30年会社にいて、ますますキャリアを積んで、自信と能力がある方々がそこそこの仕事を、他に選択肢がないからとやっていたとしたら、そこまでに至る過程や考え方=自分がおかしかったのかもしれません。 できれば、自分の子供たちには、成長すること=できることがどんどん増えてゆくんだよ。大きくなること=あなたが自分で選ぶことができる選択肢が増えてゆくんだよ。と未来に希望を与えたいと思います。

なぜなら 何度考えて見ても、子供の可能性は、誰にだって無限に広がっているのですから。 目の前の子が何にだってなれる!って信じているなら、この子が選択肢を広げてゆくことで大人になってゆき、いずれかの道を選び、いろいろな人たちと出会って、そこで様々な考えをめぐらし、もがき、あがいて 何度も何度も挑戦をして大きな魅力のある人物になって欲しいですね。