ね、おはなしよんで 与田 準一 (編集), 乾 孝 (編集), 川崎 大治 (編集), 山中 春雄 (イラスト), 岩崎 ちひろ, 渡辺 三郎, 安 泰子供に読み聞かせをする為に作られた本です。初版は1962年で今も改版を重ねています。すごくよく考えて童話を選定しています。子供にすくすくと大きくまっすぐに魅力的な大人になってもらいたいという気持ちが込められています。

それだけでも魅力的な本なのですが、僕がヤラレてしまったのは、お話の途中途中にある、この本を読み聞かせているであろう大人へのメッセージです。このメッセージは、乾 孝さん(心理学者1911-1994)が書いており、220ページの内12回の見開きにあります。この見開きのメッセージが本当に素晴らしく僕の心を揺らしました。

子供の素晴らしさ、無限の可能性、そしてそこからみた大人の在り方、社会の在り方が短いメッセージの中に一文字の無駄も無く込められています。どうにかして、素晴らしいメッセージを伝えたいので、各見開きの要点をまとめました。

 

はじめのことば 子供はとてつもなく能無しだ。だけれどもそのたぐいまれなる能無しぶりこそが、常に大人を超える無限の可能性の現れでもある。子供らしさとは、大人を追い越してゆく素晴らしさ以外のものではありません。なぜ?とたずね、けれど、、、と考え、どうしようと相談する事の出来る子供は、完成された見事さではありません。いつも伸びていく、たえず新しい自分をつくりなおす、素晴らしさなのです。

愛すること まわりに、いつも興味と関心を持った大人がいてくれる事は大切です。けれどもその興味と関心とは、ただやたらに頬ずりをしたり、抱きしめたりでは困ります。そんな事をすれば『今』だけに閉じこもった、快い感覚的な愛し方しか知らない子供になってしまうでしょう。未来を子供に仲立ちしてやるような愛情が、必要なのです。親が、ただ、かわいらしい小さな生き物として、子供を愛し、ただ、そばにいる有益な生き物として愛される、などというのは、みすぼらしい話です。ただ、親だからというだけでなく、正しい人間として、愛される値打ちのある親となり、それを愛する心を、子供のなかに育てたいものです。

みつめること 子供達の目は、澄んでいます。しかし、きたないものをみないという事ではありません。最も、子供達は、大きな見落としや見損ないをします。そればかりか、実際にみたものと、ただ想像したものとの区別さえ忘れてしまうことがあります。大人は、売り買いの社会に生きている為に美しいものと高価なものとをごちゃごちゃにしてしまう弱さがあります。子供がドブの端で拾ってきた石ころの美しさは、見逃してしまうのが普通です。子供と一緒に、子供の視線を追って、子供の見つめるもののなかに本物のもつ美しさ、正しさを発見する練習をしましょう。そうして、本当の美しさは、金銀や宝石よりも、温室咲きの花の姿よりも、どろんこ道のあぶくの中や、雨漏りのシミの中にこそ、見いだせる事の視力を回復してください。それはまた、一見、夢のようなおはなしの底に、人生の真実を見抜く視力にも通じるものなのです。

なかま 幼稚園、保育園などで、仲間に入れない子は、友達とぶつかるから、入れないのではなく、本式にぶつかれないから、ハミ出してしまうのです。だからそのハミ出しっ子を一人の先生がこっそりいたわっても、仲良しになっても、それだけでは上手く生きません。かえって、仲間に入りにくい性質の方が、増えてしまう心配さえあります。みんなでやる事の楽しさを経験させましょう。みんなで大きな紙に絵を書く喜び、みんなで歌うよろこび、みんなでやり遂げた楽しさを小さい時から味わわせたいものです。「うちの子だけ」はあんな子と遊ばせたくない、あんな事させたくないという親心が、うちの子だけを仲間からはずれた、寂しい子にしてしまいます。仲間に支えられる心強さや仲間と一緒に工夫する素晴らしさを知らない大人が多いからです。

たくましさ 勇気とは、見栄っ張りの事ではありません。だからお体裁で勇者ぶるような癖を付けないようにしましょう。子供が勇気を出して、臆病に打ち勝った時に、一緒に喜んであげましょう。ほめられたいからではなく自分の勇気がみんなの喜びを増やして気持ちがいいから、頑張るような強い子こそが、素晴らしいのではないでしょうか。その為には、親ばかの子供自慢になりたい自分の弱さと戦い続ける勇気を、親が鍛えなければなりません。

つくる 作り出すのには、見通しが必要だし、失敗を恐れずにぶつかる勇気がなければなりません。だから、やりなれたやり方をしていれば叱られないですむ、というような気持ちになじんだ子は、作り出す喜びを身につける事が出来ないのです。見通しを立てる為には、色んなものの中身にも、注意しなければなりません。必要に迫られてする以上の好奇心が必要なのです。だから人間のこどもはいろんなものを壊します。品物を、大事にするようにしつける事も必要ですが、それは、人のつくった物に対する尊重を支えにしていなければ値打ちがありません。しかられ、恐怖で触らないのでは駄目です。自分で壊したり、まとめたり、苦心して作り上げた事のある人だけが、ほかのものの作り出したものを、心から大切にできるのです。

きまり 決りを守る事にするには、まず両親が約束を守るところから始めなければなりません。第二に、子供も約束を守りたいのだと言う事を信じましょう。第三に、子供の領分を尊重する事です。まかされた自分の責任の無いところに、「決りを守る」責任感など育つはずは無いからです。私たちは小さい時から、自分の主張をしないように、自分の願い、要求をはっきり出さないようにしつけられたために、自分のその場の要求まで自分ではないのものの要請であるようにすり替えて、自分でも気付かない事が多いのです。「そのハッパむしっちゃだめよ。ハッパいたい、いたいってかわいそうじゃないの」等と言って、「それはママの大切な草花だからむしらないで」とは言えないのです。個人としての要求が自覚されないで決りなど守れずはずがありません。

平和 子供は優しい心を持っています。自分より強いもの、怖いものから身を守り、仲間を競争相手とみて、出し抜く事を考える心からは、平和を守る力は出てきません。せっかく苦心して育ててきた子が、戦争などで無駄に死んだりする事は、誰だって望むはずはありません。だから誰だって平和が欲しいのです。けれども平和を守るのには、大きな勇気が必要です。怖い人の前では黙っているとか、私だけは逃れたいなどという気持ちがあれば、また私たちは戦争に巻き込まれ、子供まで巻き込んでしまう事になるでしょう。私たちにそういう弱さがあるとすれば、やはり、私たちがしかられるのが怖い、競争相手に勝ちたいという心を、おさない時から植え付けられた為ではないでしょうか。子供達にこの弱さを受け継がせてはなりません。子供の幸福の為に私たちは、誰の前でも、戦争は嫌だという事をはっきり主張する勇気を持ちましょう。

 

結婚している人も、結婚していない人も、子供がいる人もそうでない人も誰にとっても、「子供達」ほど私たちが残せる最大の貢献はないのでは無いでしょうか。気が遠くなるほど延々綿々と続いてきた命の連続を考えると、子供達という希望/可能性を次へ渡す事の大切さを実感します。ただ一点、自分という存在が意義のあるもので、自分の生みの親、育ての親に感謝をするのであれば、それを後世につなげる事は自然であり必然です。その中で、私たち人間が善く在る方向に向かっていけるよう限りなく努力を惜しまないで生きる事が人類の存在価値である事を疑いません。