幸福とは何か。幸せって何か。この考えは、誰もが持つ普通の疑問だと思う。僕らは幸せになりたいと言う気持ちを持ちながらも、その幸せと言う物が、盲信での「最高の幸せ」や、麻薬で見せられた「幸福や極楽」などの幻覚は認めない。実際幸せだとか、辛いとか、嬉しいとか、悲しいなんて言う物は人間の頭で感じる物だから、幸福/幸せを脳の中を走る電気的な信号と考えると、なんの違いも無いのだと思う。ただ、感覚だけを麻痺させた虚無に幸せを感じ、一人で快楽を得て生きてゆくのなら、この世に生を受けた意味は無いと思う。

そこで僕は、本当の幸せとは一人の脳だけの快楽/充実を得る為だけのものでは無いと考えました。家族や、友人や、社会と相互に与えられる満足感が加わって真の幸福なのだと思います。そこで、一つの考え方として「幸福(しあわせ)の桶(おけ)」という考え方を発見しました。

 

幸福の桶を語るにあたって、まずは必須アミノ酸の話をしましょう。必須アミノ酸と言うのは、トリプトファン – リシン – メチオニン – フェニルアラニン – トレオニン – バリン – イソロイシン – ロイシン – ヒスチジンという人間では作り出せないアミノ酸の事です。面白いのはこのアミノ酸を効率よく吸収する為には、どれかをたくさんとれば良いわけではなくてバランス良く接種する必要があると言う事です。もともと、必須アミノ酸はタンパク質を合成する為に使われる材料です。たくさんの合成物を作るにあたってどれかの材料だけが多くてもそんなに使えないと言う事なのですね。


 

家庭科の時間に、先生が桶の画を持ってきて、その板一枚一枚が必須アミノ酸であると説明します。その板でできた桶に水を張るともちろん一番短い板の高さに水面が合わさります。どこか一枚だけが飛び出ても一番短い板の隙間から水が漏れていってたまりません。この事をアミノ酸の桶と言います。

 

僕が考えているのは、この「桶の理論」は、家庭科の時間のアミノ酸の桶だけじゃなくて、人の幸福に関しても同じ事が言えるのではないかという事です。「幸福の桶の理論」では、必須な要素として夢/目標 – 夫婦/家族 – 健康 – 仕事 – 勉強/学問 – 見聞/旅行 – 収入/投資 – 友人/社会 – 世界/地球 等の9要素にわけたいと思います。必須アミノ酸と大きく異なるのは、これらの数値を決めるのは自分=主観と周囲=相対であると言う事です。自分が満足、幸せであれば必然的に同じような環境の人々であっても自ずとそれぞれが違う桶になるわけです。

僕やあなたの幸福の桶を一度ご自身で考えてみてください。最近言われているワーク(仕事)ライフ(生活)バランス。もこの考え方ですね。

補足:最近では、仕事と生活のバランスが見直されています。健康で文化的な生活を送るために仕事をするのであって、仕事をする為に生きているのではない。という考え方です。生活も仕事もどちらも充実させて、良い人生をおくる。自殺率の増加や、過労死が増加し、うつ病や精神上の問題が数多く露見しこのような事が議論されています。僕は、少し疑問に思うのはこれまでの過酷な経済成長を支えて来た人々よりも今の社会の抱える闇の方が、大きな問題になっているのは少し不思議な気がします。ひょっとしたら”健康で文化的な生活を送るために仕事をする“事を当時の人たちは考えていたわけではなく“生きる為に仕事をする”事に精一杯だったからなのかもしれません。

仕事・労働は、賃金を得るための生活の糧であり、個々の暮らしを支える重要なものである。また、そこにやりがいや生きがいを見出し、充実した生活を送るための糧でもある。しかし近年は仕事のために他の私生活の多くを犠牲にしてしまう仕事中毒(ワーカホリック)状態となり、うつ病に代表される精神疾患を患ったり、過労死や自殺、家庭崩壊などの悲劇を生む事例が後を絶たなくなった。
このような悲劇の急増は、国民(労働者)にとって日々の私生活や将来への大いなる不安を抱かせることになり、返って社会の活力を低下させてしまうことになる。さらには多忙で安定した生活ができないことにより出生率低下・少子化に繋がり、人口を減らす原因となってしまう。
こうしたことから、仕事と生活のアンバランスが原因で引き起こされる多くの悲劇を抑えようと、「仕事と生活の調和」、ワーク・ライフ・バランスが叫ばれるようになった。