恋と愛の違いを何故みんなはそんなに話題に出し、あーでもないこーでもないと語り合うのか良くわかりませんが、それを考え悩むことが楽しいのならばそれだけで十分に価値のある行為なのだと思います。
ちなみに僕は、これに関して万人を納得させる根拠や論理を持っているわけではありませんが「(普通の人なら)大人になったらわかる事」だと、勝手に片付けてしまいました。昔よく言われた「大人になったらわかるから。」と言うのは本当に的確な答えですね(子供心にもどかしさは残りますが・・・)。
思い出してみると、子供のころに知らなかった事や教えてくれなかった事も今では解決していることが多いように思います。それは、セクシャルな問題であったり、傷の癒し方であったり、様々な物事に対しての考え方であったりするのかもしれません。
大切なことは、そこに何らかの真理というものが存在するのであろうか?いや、そういうものではないと言う事です。人はそれぞれに愛や、恋についての情報を自ら固めてゆかなければならないのです。
暗示知を明示知に置き換えると言うことは確かに重要なことであるかもしれません。それをきっかけに何かに目覚める人もいるのかもしれません。
しかしながら、それを受け入れる側がそのことについて理解していないと、まったく意味のない情報になってしまうでしょう。
恋と愛の違いも人それぞれであってよいと思います。あなたはもうすでに、「誰かから教えられるものではなく自分で気づくものである」ことに気づいていると思います。
まあ、それでもおもしろいネタではあるので色々と調べてみました。
愛 『ウィキペディア(Wikipedia)』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B
日本語の愛の語源
もともと日本語の文脈における愛は、仏教用語からきたものであり、愛別離苦の一を占める煩悩の意味であった。平安文学では「愛(かな)し」と読ませ、いとおしみ離れ難い心境をあらわす。近代に入り、西洋から新しい意味が導入された。その際に、「1. キリスト教の愛の概念、2.ギリシャ的な愛の概念、3. ロマン主義小説の恋愛至上主義での愛の概念」などの異なる概念が同時に流れ込み、混乱の中から、現在の複雑な愛の意味が作られてきた。
日常用語的定義
日常用語的には感情の一種で、何かの対象を肯定する気持ち、対象に存在意義や価値を見出したり、対象に快を感じたりする気持ちであると理解されている。類似の感情である(としばしば考えられる)好意よりも、深い、強い、崇高である感情とされることが多いが、例外も多くあり定義は容易ではない。また、恋ともしばしば比較されるが、両概念の違いについては一般に広く受け入れられた説はない。
一般に、愛は非常に多義的で複雑な概念であり、多くの人々によって定義を与えることができない、あるいはそのような試みが不毛である、とも言われてきた。
愛の対象
そもそも愛とは対象全てを肯定することなのであるから、愛は対象を限定しない。 ただし、日常では愛がどのような対象に対して発生するかについては、かなり具体的な規定があるといえる。この感情は親子、恋人、夫婦、友人などの間に生まれる(つまり、そのような関係にある者の間で、互いに愛を抱く)とされる。基本的には、身近な人を対象として起こる感情である。
現代では、婚姻や性行為は、しばしばお互いに対する愛の存在を理由として行われ、また愛がない場合には行われないべきだとする考えもある。
また、日本では郷土や祖国、出身校などに対する愛がありうることも比較的広く受け入れられており、郷土愛、祖国愛、愛校精神、などと呼ばれている。
愛の特徴
上述のように、愛は恋や好意に比べ、深く、強く、崇高であるとされることが多い。親が子に抱く愛や人が恋人に抱く愛は、相手に対する無条件の肯定であるとする考え方もある。このような感情は、他の感情に比べ、強く、しばしば信念などと同じく人生の重大な選択を大きく左右する感情ともなる。また、古来、物語やドラマにおいては、愛やそれに類する感情が、人々の強い願いや欲望としてドラマを作り出す重要な要素になっている例が珍しくない。
但し、「あばたもえくぼ」と諺にあるように、愛は事実を誤認させるものであるとする認識もあり、これは必ずしも愛を崇高なものとしない。
また、溺愛、偏愛、など他にも崇高ではない場合があるとも考えられている。
自己愛(ナルシズムの訳語として用いられることもある)にも、他人の視点を理解できずに自己を肯定する感情を批判する意味あいが含まれていることが多い。
恋とLove
男女間の愛は、日本語においては恋という特別な言葉でも表現できる。愛とほぼ同じ意味で使われることも多い。しかし、恋は必ずしも人間に対してのみ持つ感情ではない。植物、土地、歴史等を恋しく思う場合にも用いられる。恋と愛の両方を英語ではLoveと表現する。英語におけるLoveと日本語における恋と愛はイコールではない。これは両言語を用いる各種族の歴史観、宗教観、思想の相違による。
男女間、あるいは同性間の恋については、様々な要因が引き金となって始まると思われる。要因のひとつに、10代における身体の性的な成熟がある。この感情が芽生えるまでの少年少女の時期、彼ら彼女らにとって社会や人間関係は未知の世界であると言われている。この感情が芽生えると、寝ても覚めても相手の事で頭がいっぱいになったり、相手との人間関係を普通とは違う特別なものだと感じるようになったりする。人間以外の動物間にもこの感情が芽生えるかどうかについては不明。 恋が起こるのには人によってそれぞれの「きっかけ」があり、そのきっかけは人の人生においてとても大事なものになる場合がある。
家族愛
母親から子への愛。これが度を過ぎることをよく「マザコン」「エディプスコンプレックス」と呼ばれる場合がある。特に男性の子供に対する母親の度が過ぎる愛や、母親への男性の子供の度が過ぎる愛の事をこう呼ぶことが多い。また、女の子供からの母親への愛情にもマザコンは存在すると思われる。一方、父親の子供への愛、子供から父親への愛情に度が過ぎた場合も「ファザコン」「エレクトラコンプレックス」という言葉が存在する。
兄弟愛、姉妹愛という言葉があるが、これもまた度が過ぎた場合、「シスコン(シスターコンプレックスの略)」「ブラコン(ブラザーコンプレックスの略)」「カインコンプレックス」と呼ばれる事が多い。
家族愛の普遍的な例として、お互いを溺愛しすぎず、両親の尊敬と思い入れが子供にある(親孝行)あるいは親が子供を愛玩的に愛するのではなく、子の人生を社会的にも精神的にも温かく見守るように育てる事、兄または姉に対して弟あるいは妹が嫉妬、あるいはライバル心を抱きながらも仲間や同志的な感情と似た感情を抱いたり、兄や姉が妹、弟を精神的にも社会的にも微笑ましく見守るような場合等を「家族愛」と表現する場合が多い。
宗教と愛
「神は愛である」という言葉があり、また、さらに、「愛は神である」という言葉もある。愛を知ることで、神を知ることができたり、宇宙の神秘を知ることになるとも言われる。これらは、宗教性の意味あいをもった愛であるが、愛は数多くの形に使われる。 「自分の愛している車」これは、「非常に大好きで大事な」の意味で、必ずしも「愛」の言葉を使うのはふさわしくないかもしれない。しかし、使われる。
そこで、たびたび宗教性の意味あいを持った愛を「無条件の愛」と呼ぶ。実際には愛は無条件なのであるが、「無条件ではない大好き」「対象と条件のある愛に似たもの」を「愛」と呼ぶことが多いので、このようになっている。
愛は宗教的な探求テーマの一つであるが、愛を探求テーマに持たない場合もある。それは瞑想の道とも呼ばれ、愛の道と対比され、探求には愛の実践は含まれないか中心的な重要さはもっていない。しかし、道に到達したときには愛が起きる。例えば、禅の探求には愛は含まれない。しかし、悟りを開いた人々は愛に満ちていることは知られている通りである。
仏教での愛
仏教での「愛」には、サンスクリット語でtRSNaa तृष्णा、kaama काम、preman प्रेमन्、sneha स्नेह の4種が挙げられる。tRSNaa
人間の最も根源的な欲望であり、原義は「渇き」であり、人がのどが渇いているときには、水を飲まないではいられないような衝動をいう。それにたとえられる根源的な衝動が人間存在の奥底に潜在しており、そこでこれを「愛」とか「渇愛」と訳し、ときには「恩愛」とも訳す。
広義には煩悩を意味し、教義には貪欲と同じ意味である。
また、この「愛」は十二因縁に組み入れられ、第八支となる。前の受(感受)により、苦痛を受けるものに対しては憎しみ避けようという強い欲求を生じ、楽を与えるものに対してはこれを求めようと熱望する。苦楽の受に対して愛憎の念を生ずる段階である。
kaama
kaamaはふつう「性愛」「性的本能の衝動」「相擁して離れがたく思う男女の愛」「愛欲」の意味に用いられる。これを「婬」と表現することが多い。
仏教では、性愛については抑制を説いたが、後代の真言密教になると、男女の性的結合を絶対視するタントラ教の影響を受けて、仏教教理を男女の性に結びつけて説く傾向が現れ、男女の交会を涅槃そのもの、あるいは仏道成就とみなす傾向さえも見られた。
密教が空海によって日本に導入されたときは、この傾向は払拭されたが、平安末期に立川流が現れ、男女の交会を理智不二に当てはめた。
性愛を表す愛染という語も、この流れであり、しばしば用いられる。
preman, sneha
preman, snehaは、他人に対する、隔てのない愛情を強調する。
子に対する親の愛が純粋であるように、一切衆生に対してそのような愛情を持てと教える。この慈愛の心を以て人に話しかけるのが愛語であり、愛情のこもった言葉をかけて人の心を豊かにし、励ます。この愛の心をもってすべての人々を助けるように働きかけるのが、菩薩の理想である。
一切衆生に対する愛情の純粋化・理想化されたものを慈悲という。それは仏に成就しているが、一般の人々にも多かれ少なかれ実践できる。
慈悲
愛が更に進化した場合を、慈悲と呼んで区別する場合もある。この場合は愛が状態であり、対象や相手を持たないが、更に愛があふれ出ている。近くに来る人は慈悲を受け取り、愛をいっぱいに受け取ることができるとも言われる。観音菩薩や聖母マリアは、このような状態の象徴であり、そのような状態を感じることができるように表現されている。
キリスト教での愛
キリスト教の愛は、隣人愛によって成立する人類という大きな家族像を示唆している。キリスト教の神は、聖書の「放蕩息子」のように限りなく寛大な親であり、聖母は全ての人の母として尊敬されるべき慈愛あふれる庇護者であり、全ての人は「サマリア人」のように兄弟愛で支え合い、譲り合い許し合い和解すべきとされる。
100人に聞きたい「恋と愛のちがいについて」 http://katy.boo.jp/chigai01.html
1 恋は「自分を分かって欲しい」と思う気持ち。
愛は「分かってあげたい」と思う気持ち。
カティ
2 恋は一瞬のトキメキ!ドキドキ!キュンキュン自分のものになるまでのもの!
愛は安心!信頼!安定!愛になると我がの事同然、固いと思うよー! きょん
3 恋は、恋心、トキメキ。
愛は、奥深い愛情や思いやりの気持ち
K・Hさん
4 恋は自分の欲望を満たすもの。(自分の欲から起きる下心)
愛とは相手の全てを受け入れること。(慈愛的な見返りを求めない真心)
まさかの!マキマキ
5 恋は自分の気持ちでいっぱいいっぱい。傷つくのが怖いから、自分を守りに入っちゃう。
愛は自分が傷つくことよりも相手を傷つけたくないと思う。自分よりも大事だと思えること。 mickey
6 恋は激流
愛は海原 N・M ★
7 恋はトキメキ、相手に求めるもの
愛はおもいやり、相手に与えるもの ナナミちゃん
8 恋は、自分の気持ちをぶつける
愛は、相手を思いやる。 みぞっち
9 恋⇒一人でも楽しめるとっても楽しい時間!
愛⇒相手をどれだけ大切に出来るか!相手がいないと愛はないかな・・・ ブツ子
10 恋は軽い
愛は重い・・・ うちの課長 ★
11 恋は100%与えたら100%返ってこないと不満。相手より自分の事を考えてしまう。壊れやすいもの。
愛は見返りを求めずに相手の幸せを願って思いやりのある行動出来る事。簡単に壊れないもの。 mariさん
12 恋は、感受性を高めるもの。
愛は、忍耐を学ぶもの。
さちこさん
13 恋は、相手を変えようとするが
愛は、相手の全てをうけとめる Geroppaさん
14 恋はひとりよがり、自分中心
愛はお互いの思いやりがある りんさん
15 恋は瞬間
愛は永遠 さらさん
16 恋は高熱
愛は平熱 ポニー様
17 恋はひとりでも出来るもの。好きになった理由があるうちは恋。
愛は相手がいなきゃ出来ないもの。理由なんて関係無くなるのが愛。 yuccoちゃん
18 恋はフルーツ
愛はお米 近所に住む
乙女オヤジ ★
恋と愛の違い 【出会い研究所】 http://www.deailab.net/gender/01_04.html
恋はときめいている状態で、愛は信頼している状態。実際は両方同時には絶対に存在しません。例えば、父は娘を信頼し、愛することはあっても、 ときめいて恋することはありません。
科学的に言うと、恋は精神が不安定で不安や恐怖を感じ、緊張している時に成り立ち、 愛は全くその逆で、精神が安定し、安心や信頼を感じている時に成り立ちます。
つき合い始めに自分がいつふられるかもしれないと思って不安を感じている時期は恋で、 浮気ができるもんならしてみなさいよ!と思うようになったらそれは愛です。
恋がときめきで愛が信頼なら決定的に違うところがあります。
それはギブ&テイクです。
恋しているときはときめいていて、相手に夢中になっているので ギブだけでテイクはいらないという気になります。
だから都合よく扱われても、損をしても相手についていきたくなります。
ところが愛は信頼です。信頼とは何かをよく考えると、相手に10与えると 10戻ってくるということです。結婚して安定して愛をはぐくんでいる人でも、恋がしたいという欲求は 恋と愛が両立できないことからでてくるものですが、 以前では難しかった、恋と愛の両立が【出会い系サイト】というツールの 登場で少しづつ可能になりつつありますが、そこには、恋を得て、愛を失い、 修羅場になって、恋も失うというリスクもあります。
「愛は永遠」というフレーズがありますが、このれはある意味真実です。
池袋レディースカウンセリング http://www.angels-room.jp/koramu/koitoai.htm
恋と愛との違い・・。何となくわかりますか? LikeとLoveのちがい?好きと情のちがい? 全ての答えに間違いはないでしょう。 きっとそれがあなたの恋の形であり、愛の形なのでしょう。私も考えてみました。
この人は恋だったのか。この人は愛だったのかな・・。
私は、ある人に出会って愛ってこういうものなのかな。
と納得することができました。今日はそのあったかいお話の紹介をしましょう。
私が大きな問題に悩み苦しんでいたときのこと。
彼は私のその姿を見て、
「私が幸せと感じるのならば、僕のことは考えなくていいから
私が幸せに思うことが僕の幸せだから。」
と言った人に出会い、はっとしました。
生協の白石さん http://shiraishi.seesaa.net/article/16794703.html
Q.「愛」と「恋」の違いって何ですか?(MARN)A.中学時代の教諭の言葉を思い出しました。
「“恋”のうちはまだ下心、時が経ち真心となれば“愛”」
得意気に話す先生のワイシャツの裾は出ていました。
このような言葉の遊びは誰にも当てはまるものでは
ないかと思われます。皆さんが各自実体験を通し、
違いをかみしめてみては如何でしょうか。(白石)
あい 【愛】 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B0%A6&kind=jn&mode=0&base=1&row=0
(1)対象をかけがえのないものと認め、それに引き付けられる心の動き。また、その気持ちの表れ。
(ア)相手をいつくしむ心。相手のために良かれと願う心。
「子への―」「―を注ぐ」「―の手をさしのべる」
(イ)異性に対して抱く思慕の情。恋。
「―が芽生える」「―を告げる」「―をはぐくむ」
(ウ)何事にもまして、大切にしたいと思う気持ち。
「学問に対する―」
(2)キリスト教で、神が人類を限りなく深くいつくしむこと。
→アガペー
(3)〔仏〕 人や物にとらわれ、執着すること。むさぼり求めること。渇愛。
(4)他人に好ましい印象を与える容貌や振る舞い。あいそ。あいきょう。
「阿呆口たたけば、夫が―に為つて/滑稽本・浮世風呂 4」
――に愛持・つ
かわいい上にもかわいい。愛に愛らし。
「裾に前垂ほやほやと―・つ鮎の鮓/浄瑠璃・千本桜」三省堂提供「大辞林 第二版」
こい こひ 【恋】 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%CE%F8&kind=jn&mode=0&base=1&row=1
(1)異性に強く惹(ひ)かれ、会いたい、ひとりじめにしたい、一緒になりたいと思う気持ち。
「―に落ちる」
(2)古くは、異性に限らず、植物・土地・古都・季節・過去の時など、目の前にない対象を慕う心にいう。
「明日香川川淀去らず立つ霧の思ひ過ぐべき―にあらなくに/万葉 325」
――に上下(じようげ)の差別なし
恋愛の情には、身分や地位などの上下の区別はない。恋に上下の隔てなし。
――は曲者(くせもの)
恋は心を乱し、理性を失わせる曲者であるの意。
「恋といへる曲者、げに―/閑吟集」
――は思案(しあん)の外(ほか)
恋は理性では律しきれない。
――は盲目(もうもく)
恋は常識や理性を失わせてしまう、の意。
――は闇(やみ)
「恋は盲目」に同じ。三省堂提供「大辞林 第二版」