人を信じよ、しかし、その100倍も自らを信じよ。手塚治虫
僕はずっと「利己と利他の関係性について」考えてきた。この対立軸を世間では物差しにすることが多いが本当にそうだろうか。人間には誰しもが利己性と利他性を併せ持つ。利己性とは自己の欲望・利益・幸福を追求する行為行動のことであり、利他性とはその逆に他人の利益や幸福・福祉を追求する行為行動のことである。
一般的に言えば、利己的な視点では、自分自身が最優先であるため、他人の立場や感情を理解しようとすることが難しく。そのため、利他的な行動をすること自体が理解できず、利他という概念も曖昧なままになると言われている=これが「わがまま」という概念だと。
しかし、一方で僕が思うのは、利己的な一人一人でなければ自分自身を客観視し、自己の欲求やニーズを把握することができないと。自分が「わがまま」であるからこそ他人の欲求への理解が進む。つまりこれは、痛みを解らないものには痛みを説明することができないものと同様である。
そして、利他性を求めることが、自分の利益や幸福である場合においては、ここに矛盾が生じない。その点においては、利他的と利己的は単純な対立概念ではなく、相互に補完的な関係にあると言えることがわかる。人間の社会関係は複雑でそれぞれがかみ合わさってできている。誰かの要望は誰かの実現であることもあり、自分の欲望が他人の利益であることもある。
であれば、利己的であり、利他的な自分でいたい。