あとみよそわか 毎日が小春日和 つばたさん
つばた夫妻は、日本のターシャ・テューダーのような存在で、日々の生活を豊かに暮らすにはどう言うスタイルが良いのか?と言うのを追求した夫婦だと僕は思っています。「ゆたか」と言うのは、実は大変せわしなくて「働き蜂のようにせっせと一生懸命に蜜を集めるのに似ている」と何冊かつばたさんの著書を読んで考えるようになりました。
いつだってどんな季節にだって、自分たちの望むやりたいことをせっせとやるのは、前に進むと言うことなんだなと。夫のしゅういちさんが亡くなったのも、その進んだ先に逝かれたのだと思いました。人は誰でもが必ず生まれて死んでゆく。この時の「あとみよそわか」はきっと周りの人々が考えるのでしょう。そして、亡くなった後もみんなの生活は「毎日が小春日和」と止まらないのです。
「あとみよそわか」の呪文の意味は、どうやら昔からある言葉で、「あとを見よ、そわか…」のそわかとは、梵語(仏教語)。例えば「般若心経」の最後から二行目の「菩提薩婆訶(ぼうじそわか)」から来ているものだと云う。ものが成る時(成就)、人の去り際(亡くなる時)、何かから境遇を脱する時、その際(きわ)を振り返り「あとみよそわか、あとみよそわか」と呪文に唱えて、物事の成るを願う。成るか成らぬかの是非を心に留めるように、振り返れと云うことらしい。
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