はじめに
タイが好きだ。ずいぶん昔のことだが、いつものタイ旅行に出かけた。何度も行って飽きるのではないか?とお思いの方もいるかと思うけど、旅行と言うのはこれが意外と奥が深い。タイ文化の表層をなでるだけの楽しみ方も有れば、さらに深くタイの人々の日常を切り取る楽しみ方も有り、国内も同様に「求めよ さらば与えられん」という世界なのだ。
その旅行で、ウィークエンドマーケットと呼ばれる週末市(と呼ぶには大きすぎる市場)に、奥さんと出かけた。所狭しと物で溢れている各ブースで何気なく手に取った「お猿が4匹並んだモビール」を購入した。これは、フェアトレードで村人が山奥で作っている民芸品。値下げはできなかったので1匹だけ連れて帰る。
それから、何年も何年も、何気なくいつもベランダにぶら下がり、羽が折れては自分で補修しつついつも日本の風を感じていた。ずいぶん時間が経って、コロナの折に「この可愛いお猿もビールをたくさんの人と共有したい!!」と思って色々トライして輸入することに。振り返るといろいろな旅の楽しみがある。
そう、まだまだタイの
楽しみ方は無限にある。
お猿モビールの取り扱いについて
タイの北部で一つ一つ手作業で作られている木民芸品。やさしい風でクルクルと回るハネの部分も全て木製ですので、取り付け時もそっと扱っていただければ嬉しいです。
①ハネは壊れやすいので
最初は、お尻に装着され
ていません。
②ちょっと硬いですが
お尻に刺さっている釘を
抜きます。
③ハネを釘に差し込んで
元の穴に戻します。
※接着剤があれば
ほんの少しだけ穴に
入れたら抜け防止に。
④完成!かわいい!!
※強風だとお尻の羽が
吹っ飛んでしまうので
ご注意ください。(台風
の時は家の中へ避難)
⑤飾ったら写真を撮って
Instagramで共有!
@nakaharamujin.store
タグ付けして、
#お猿モビール を入れて
繋がりましょ~😍
どこでどんな暮らしを
しているかぜひ教えて
ください。
これからも好きを
共有したく思います。
よろしく
お願いいたします~
お猿モビールができる風景
タイの奥の奥のラオス国境付近でこのお猿もビールは全て手作業で一つ一つ丁寧に作られています。とは言っても荒いのも味のひとつです。フェアトレードでちゃんとした値段になっています。
タイでの出会いは川のほとり
外国に行く楽しみは、自分をどこか捨ててゆけるからかもしれない。それは、固定概念であったり身分であったり、過去であったり人によって違うだろうけど。だからこそ、その新しくできた隙間に様々な出会いが入ってくるのだ。
僕が大学生の時に初めていった外国が、タイランドだった。世界中のバックパッカーが訪れるカオサンロードで数週間程度の短い旅行であったけれど、計り知れない。衝撃が僕には走った。
ドミトリーと呼ばれる、貸しベッドで寝起きをして、世界の情勢がああだこうだと日本人のおじいさん達が言い合っている混沌を横目に見て、先に宿泊していた先輩にお得情報をもらう。
どうやら、王族の慶事か弔事で炊き出しが行われている?ということでお粥をもらうために朝行列に並び、どこにゆくでもなく漫然と過ごす。
夕方、チャオプラヤー川のほとりのベンチでお土産用に買った縦笛を吹いていると、分厚い本を読んでいたお姉さんに声をかけられる。その人が、ファーだ。
(写真は全て2013年撮影) チャオプラヤー川は、僕たちの思っている以上にただの川ではない。それは、日本人にとっての富士山のように、どこか心に絶えずあり続けている象徴的な存在だ。
細い縁を手繰り寄せて
友達ができた。ということは、それだけで旅行にとって素敵なスパイスとなる。一昔前であれば、この出会いは一期一会で。帰国してしまったら再び交流を行うこと自体が難しかっただろう。
だけど今はメールがあり、SNSがある。ほんの些細な縁で知り合った人々が、その物理的な距離に関係なく世界中を飛び回り、昼夜を問わずインターネットで仮想空間上を交流する。一度会うとうすく長くつきあえるような時代だ。
それをあたたかみが無いと嘆く人もいるが、僕はそうは思わない。その縁という細い糸を手繰り寄せて、膝と膝を付き合わせる交流もあるのだから。
もともと明確な意味のなかった旅行に、意味が生まれるということは、なぜ生きているのか? ということへの問いにも通ずるものがあり、それを許すか許さないかは、結局自分がどう思うかということに尽きる。
灯を入れたコンローイが空に昇るのも、いつか落ちてくるのも当たり前なのだ。ただし、どこまで行けば落ちて来ないのかということを考える遊び心を僕たちは持っている。
(写真上)タイ人のバカンス場 サメット島。 バイクを借りてノーヘルで好きに移動し風を感じて、自然を満喫し、気に入ったビーチで休憩し泳いでのんびり過ごし、またビーチをかえて同じようにし、帰り際にサンセットを楽しむ。ホテルに帰りプールでまたひと泳ぎ。 ホットシャワーを浴びて心地よい疲れの中で、近くの砂浜に出されたテーブルで美味しい食事をとりながらビールを飲む。すごい数の提灯やスーパームーンの月明かりが浜辺を照らす中、コムローイ(小さい熱気球)がゆっくりと空へと昇ってゆく姿を見て、最高の気分になる。一日の終わりは、こうでなければ!とそう思わせてくれるのだ。
①ファーは、熱心な仏教活動家。ベジタリアンになりたかったが、体調を崩し鶏肉は食べる。とにかく優しく素晴らしい女性だ。②その友達のタミーはベジタリアン。モリモリと葉っぱを食べる。 世の中には様々な人がいる。かといって僕たちにはそれを強いることなく美味しい料理を次々に勧めてくれる。そうだよな自分がどうあるかと他人をどうしたいかは関係ないと気づかせてくれる。
僕たちは、出会って休日を楽しんで。また散り散りに帰ってゆく。それを喜び、また出会える日を期待している。
彼女•彼たちの日常を肌で感じて、たどたどしい英語や翻訳でもお互いの心に灯るものがある。自分の外の世界は、断絶していて無機質なものではない。新聞やTVやネットで出てくる数字ではなくて、目を閉じているその先にもちゃんと人がいることを今この瞬間も感じている。